講師の高木圭二郎です。
東日本大震災から10年の日に、この記事を書き留めたく思います。

(イラストはイメージです)
――――――――――――――――――――――
2011年3月11日、私は大規模な停電情報を
中継先から何度も伝えていました。
茨城のラジオ局に在籍していた私は、
3月11日以降、1か月以上にわたる災害報道を担当。
経験したことの無い長期の災害報道でした。
忘れられた被災地。
震災後の茨城県をそう呼ぶ声も多くありました。
茨城県は太平洋側の東北3県に比べ、死者・行方不明者が少なく
当時、東京電力福島第一原発事故の報道も不可欠だったことから、
NHKや大手マスコミの茨城県内の情報の扱いは必然的に減少。
しかし、茨城の被災状況も甚大でした。
沿岸部は津波被害を受け、私がいた水戸市内でも
道路陥没や建造物の甚大な被害が見られました。
生活面では停電、断水など、ライフラインの影響も大きく
多くの方々が被災地としての生活を余儀なくされました。
当時は物流も途絶えがちで、スーパーの食材はすぐに売り切れ。
辛うじて残っていた酒店のチーズ類がその日のおかず、
ガソリンスタンドも給油不可、放送の業務の合間に徒歩で帰宅、
という日々も送り続けていたのです。
東日本大震災後の災害報道はその後も続きました。
給水情報や避難所での情報など生活関連情報や、
復旧復興に関する動きを連日にわたり紹介。
私がいた職場には「ラジオで紹介してほしい情報がある」
などと、当時多数の情報が寄せられました。
オールドメディアのラジオは、皮肉にも大規模災害で
その存在を見直されていたのです。
――――――――――――――――――――――
災害報道の現場を経験し、強く実感したことがあります。
それはスタッフ体制の整備の重要さです。
長期にわたる災害報道を支えたスタッフとして、
ラジオで声を出すアナウンサー、パーソナリティ陣の存在は
やはり大きいのですが、私が不可欠と感じたのは、
ディレクターをはじめとした声を出さないスタッフの存在でした。
災害時は情報の混乱が生じます。
震災後、私がいた現場ではディレクター陣が連日情報を整理し、
メモでアナウンサーらに指示を出すなど、
災害報道に不可欠な業務に対応していました。
ライフライン関連情報も、用紙を入れるケースが
5-6ケース以上に及んでいたのを記憶しています。
大規模災害では、それくらい情報が入り乱れます。
情報の的確な仕分けは、人の力に頼るしかありません。
継続的な災害報道には多数のスタッフが必要になります。
長期にわたる災害報道は、スタッフ体制を整えたうえでの
総合力でしか乗り切れないのです。
――――――――――――――――――――――
震災から10年が経過し、情報インフラも以前よりはるかに整いました。
スマホ一つで情報発信ができ、文字情報や画像のみならず、
動画やライブでの情報配信も容易になっています。
そのような状況だからこそ、放送業界の皆様は、
平時から緊急時のスタッフ体制を考慮すべきと思います。
またこのメッセージは、放送業界の皆様だけでなく、
災害に備える全ての皆様に知ってほしい情報です。
災害への備えは、対外的な「オモテ」の対応のみならず、
「ウラ」=バックオフィスの人員体制をも考える必要があるのです。
――――――――――――――――――――――
現在、私は研修講師としてマスコミ対応研修や危機管理研修を
各地で実施しています。
講座では危機管理3原則として、「予防・備え・初動」の
重要性を説明していますが、平時の備えがなければ、
的確な初動対応にはつながりません。
また、近年頻発する広域災害を受け、被災自治体の首長らは、
「職員を休ませること」の大切さも伝え始めています。
この内容は「内閣府 防災情報のページ」などでも
「災害時にトップがなすべきこと 24か条」として紹介されています。
関連リンク
http://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h29/87/news_02.html
大規模災害時のスタッフの体制も、あえて職員を休ませることで、
組織としてシームレスな(=切れ目のない)体制を構築できます。
震災10年の節目で、多くの皆様に10年前の出来事を見つめなおし、
多くの「備え」につなげていただきたいと思います。
皆様のご参考になれば幸いです。
(講師:高木圭二郎)